大学

  • もとは『礼記』(全四十九篇)の第四十二篇として編入されていたもの。著者は不明。
  • 朱熹(1130-1200)により、曾子の著とされ、四書の1つとして重視される。
  • 和訳:金谷治『大学・中庸』(岩波文庫、1998年(2013年))

第1章

大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい得を身につけてそれを世界にむけてさらに輝かせることであり、そうした実践を通して民衆が親しみ睦みあるようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。

 ふみ止まるべきところがはっきりわかってこそしかあり落ちつくということになり、しっかり落ち着いてこそものごとに動揺しないで平静であることができ、平静であってこそ安らかになることができ、安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ最高善に止まるという目標も達成できる。

 ものごとには根本と末端とがあり、また初めと終りとがある。そのことをわきまえて何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。

 古きよき時代に、輝かしい聖人の徳を世界じゅうに発揮して世界を平安にしようとした人は、それに先だってまず世界の本であるその国をよく治めた。その国をよく治めようとした人は、それに先だってまず国の本であるその家を和合させた。その家を和合させようとした人は、それに先だってまず家の本であるわが身をよく修めた。わが身をよく修めようとした人は、それに先だってまず一身の中心である自分の心を正した。自分の心を正そうとした人は、それに先だってまず心の中心である自分の意念(おもい)を誠実にした。自分の意念を誠実にしようと人は、それに先だってまず意念の本である自分の知能(道徳的判断)を十分におしきわめた。知能をおしきわめて明晰にするには、ものごとについて善悪を確かめることだ。

 ものごとの善悪が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられて明晰になる。知能がおしきわめられて明晰になってこそ、はじめて意念が誠実になる。意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。

 そこで天子から庶民に至るまで、どのような身分にある人でも、同じようにみなわが身をよく修めることを根本とする。その根本のわが身をよく修めることがでたらめでありながら、末端の国や天下がよく治まっているというのは、めったにない。自分で力をいれなければならないことを手薄にしながら、手薄でもよいところがりっぱにできているという例は、まずないものだ。

 このように天下国家を目ざしながらもわが身をよく修めることを第一とするのを、真に根本をわきまえたものといい、このように根本を知りぬいてあることを、知識のきわみというのである。

第2章

上文でのべた「自分の意念を誠実にする」というのは、自分で自分をごまかさないことである。たとえばだれもが臭いにおいを嫌うように悪いことはすなおに悪いとして追放し、美しい色を愛するように善いことはすなおに善いとして追及するのだ。そのようにすることが、われとわが心を満ちたりたものとすることになる。そこで、君子は必ず内なる己れ自身(意念)を慎んで修めるのである。

 つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事をはたらいてどんなことでもやってのける。さて立派な君子を見ると、そこではじめて蔽いをかけるように自分の悪事を隠して善いところを見せようとする。しかし人びとがそれを見とおすことは、まるでその肺臓や肝臓を見ぬくほどにも鋭いから、そんなことをしても何の役にもたたない。そこで、君子は必ず内なる己れ自身(意念)を慎んで修めるのである。

 曾子はこう言った、「おおぜいの目に見つめられている。おおぜいの手に指さされている、だれもいないと思ってはならぬ。ああ、畏れつつしむべきことだ」。財産ができると家屋もその恩沢をうけるように、内に徳ができると人の身体もその潤いをうける。心が公明正大であると肉体もおおらかになる。こういうのが、内面で誠実にしておれば外にもあらわれるということだ。そこで君子は必ず自分の意念を誠実にするのである。

 『詩経』には「あの淇の川のくまを見れば、緑の竹が美しく茂っている。その竹のようにすばらしい才能ゆたかな君子は、まるで細工師が切りこんだうえにやすりをかけ、たたいたうえにすり磨くように、どこまでも修養する。慎しみ深くみやびやかで、はれやかに輝かしい。ゆたかな才能の君子は、いつまでも忘れられない」とうたわれている。「切りこんだうえにやすりをかけるよう」というのは、人について学ぶことを言ったのである。「たたいたうえにすり磨くよう」というのは、自ら反省して修養することである。「慎しみ深くみやびやか」というのは、気高く礼儀正しいありさまである。「ゆたかな才能の君子は、いつまでも忘れられない」というのは、盛んな徳をそなえて最高の善におちつく人は、民衆にとって忘れることができないというのである。

 『詩経』にはまた「ああ、前の代の王たちのことは、忘れられない」とうたわれている。君子(為政者)は王たちが賢者とした人を賢者として敬うとともに、また王たちの身内の人を身内として親愛し、庶民の方では王たちが楽しみとしたことを楽しむとともに、また王たちが利益としたことを利益として受け収め、こうして前の代の王たちのおかげでよく治まった。だからこそ、いつの代になっても忘れられないのである。みな意念を誠実にした人のことをほめた詩である。

 康誥篇では「文王さまにはその徳をみごとに世界に輝かされた」と言われている。太甲篇では「湯王さまには天から降された輝かしい命令をかしこみ正しく従われた」と言われている。帝典篇では、「帝尭さまには偉大なその徳をみごとに世界に輝かされた」と言われている。いずれも自分で自分の徳を輝かせたことを述べたものである。

 湯王の水盤の銘文には、「まことに一日新鮮になり、日々に新しくなって、さらにまた日ごとに新しくなれ」とある。康誥篇では、「新しい活気のある民衆を育てよ」と言われている。『詩経』では、「周は古い国ではあるが、王朝の天命が降されたのはまだ新しい」とうたわれている。そこで、君子はどんなばあいでも個人的でも政治的でも新鮮であることを求めて最高の標準(最高善)に従っていく。

 『詩経』では、「国の領域千里四万、これこそ民衆の止まるべき所だ」とうたわれている。『詩経』では、「愛らしい黄鳥(うぐいす)は、丘の隅に止まる」ともうたわれるが、孔子は「黄鳥でさえ、止まるについては一定の止まるべき所をわきまえている。人でありながら鳥にも及ばないでよかろうか」と言われた。『詩経』では、「徳の充実した文王さま、ああ、輝きわたって、止まるべきところに謹しんでおられる」とうたわれている。人の君としては仁愛の徳に止まってそれを標準とし、人の臣としては敬慎の徳に止まってそれを標準とし、人の子としては孝行の徳に止まってそれを標準とし、人の父としては慈愛の徳に止まってそれを標準とし、都の人びととの交際では信義の徳に止まってそれを標準とする。こうして、意念を誠実なものにしてゆくのだ。

 孔子は言われた、「訴えごとを裁くことでは、わたしも他の人と違わない。どうしても違ったところを言えということなら訴えごとを無くさせることだ」と。誠実でない者には、偽りの申し立てを巧妙にのべたててもむだだと悟らせて、軽々しくは訴えを起こさないで誠実になるよう民衆の心を強くひきしめるのだ。このように意念を誠実にすることに努めるのを根本をわきまえたものというのである。

第3章

 上文でのべた「わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ」というのは、わが身に腹のたつことがあると身の正常を保つことはできず、恐れおののくことがあると身の正しさを保つことはできず、楽しい好きごころがあると身の正しさを保つことはできず、悲しい心配ごとがあると身の正しさを保つことはできない―つまり心が動揺すると身は修まらないということである。

 心がしっかりと正常に落ちついていないと、何かを視てもはっきりとは見えず、何かを聴いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味がわからない。これでは身の修めようがないわけである「わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ」というのは、こういうことである。

第4章

 上文でのべた「その家を和合させるには、まずわが身をよく修めることだ」というのは、人は自分の親しみ愛するものに溺れて偏ったことをし、自分の賤しみ憎むものにとらわれて偏ったことをし、自分の敬いおそれるものにひかれて偏ったことをし、自分のあわれむものに溺れて偏ったことをし、自分の見くだすものにとらわれて偏ったことをするものだ。そこで、好きなあいてでも同時にその欠点をわきまえ、嫌いなあいてでも同時にその長所をわきまえるという公正な判断のできる人は、世界じゅうでもまれなものである。

 そこで、諺にもそういうことがあって、「人はわが子を愛するあまりにその子の欠点に気づかず、他家をうらやんでわが苗の大きいことに気づかない」といわれる。これが、一身が修まらなければその家を和合することはできない、ということだ。そこで、その家を和合させるには、まずわが身をよく修めることだ、といわれるのである。

第5章

 上文でのべた「その国をよく治めるには、必ずまずその家を和合させることだ」というのは、よく身を修めてその家族を教化することもできないくせに、国民に対してはりっぱな教化ができるということは、ありえないからである。そこで、君子ともなると、自分の家から外に出なくても、ひろく国じゅうにりっぱな教化を及ぼすのだ。つまり家のなかの親への孝行はそのまま主君に仕える道徳となり、兄への従順はそのまま先輩に仕える道徳となり、子への慈愛はそのまま民衆を使役するばあいの道徳となるのである。

 康誥篇には「民を治めるには赤ん坊を慈しみ育てるようにする」といわれている。慈愛の心でほんとうに求めたなら、赤ん坊の心に―つまりは民衆の心にぴったりと的中はしないまでも、大きな見当ちがいにはならないものだ。子供の育てかたを学んでからはじめて嫁にゆくという女はいない。同じように、民を治める前に、そのための特別な方法を学ばねばならぬということはない。

 一家に仁愛の徳が満ちあふれると国じゅうが仁愛を行なおうとしてふるいたち、一家に謙譲の徳が満ちあふれると国じゅうが謙譲を行なおうとしてふるいたつ。しかし、君主一人の身が貪欲(不譲)ででたらめ(不仁)であれば、国じゅうが争乱を起こすことになる。国の治乱の転機はこのようである。「一言の発言が大事をくつがえし、一人の働きが国家を安定する」といわれるのは、こういうことである。

 聖天子の尭や舜は、自分で仁愛の徳を修めてそれで天下を統率したから、民衆もそれに従って仁愛を行ない、暴君の桀や紂は、自分で暴逆を行なってそれで天下を統率したから、民衆もそれに従って暴逆を行なった。しかし、君主の命令が君主のほんとうの好みとはうらはらだというときは、そんな命令には民衆は従わない。そこで、君子はまずわが身に徳を積んでからはじめて他人にもその徳を求め、まずわが身に不徳を無くしてからはじめて他人にもその不徳を非難する。わが身の内にあるものによって他人を思いやるということをしないで、一方的に相手を責めるだけでいて、それで他人をうまく納得させたという人は、あったためしがない。だからこそ、国を治めるにはまずその家を和合させることになるのである。

 『詩経』には「わかわかしい桃の木、その葉は青々と茂る。そのようにみごとなこの娘が嫁ぐ、嫁ぎさきの家族ともうまくいくだろう」とうたわれている。自分の家の人びととうまくいってこそ、はじめて国じゅうの人びとを教化することもできる。

  『詩経』には「兄たちと仲良く、弟たちと仲良く」とうたわれている。兄たちと仲よく弟たちと仲よくして家内が和合してこそ、はじめて国じゅうの人びとを教化することができる。

 『詩経』には「君子の立てる模範にはくるいがなく、それによって四方の国ぐにを正している」とうたわれている。父としても子としても兄としても弟としても、その家でのあり方がじゅうぶんに模範にできるものであってこそ、はじめて民衆もそれにならうのである。国を治めるにはまずその家を和合することだというのは、こういうことである。

第6章

 上文でのべた「世界を平安にするには、まずその国をよく治めることだ」というのは、上にたつ君主がその国の老人を老人として大切にしていると、天下の万民もまた孝行になろうとしてふるいたち、君主がその国の年長者を年長者として敬っていると、天下の万民もまた従順になろうとしてふるいたち、君主がその国の親なし子をあわれんで助けていると、天下の万民もむつみあって離れなくなるからである。そこで、君子には「絜矩(けっく)の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推しはかるという方法があるのだ。目上の人について厭だと思うことは、そんなやり方で目下の者を使ってはならないし、目下の者について厭だと思うことは、そんなやり方で目上の人に仕えてはならない。前を行く人についてよくないと思うことは、そんなやり方で後から来る人の前に立ってはいけないし、後の人についてよくないと思うことは、そんなやり方で前の人の後についてはならない。右にいる人について厭だと思うことは、そんなやり方で左の人と交わってはならないし、左にいる人について厭だと思うことは、そんなやり方で右の人に交わってはならない。こういうのを、「絜矩の道」つまり身近な一定の規準をとって広い世界を推しはかる方法というのである。

 『詩経』では「めでたき君子は、民の父母」とうたわれている。民主の好むことは君主としての自分もまたそれを好み、民衆の憎むことは君主としての自分もまたそれを憎む。このように民衆の心を推しはかっていくことのできる人を民の父母というのである。

 『詩経』では「切りたったあの南山、岩がごつごつ。その山のように、権勢を集めて光り輝く太師の尹氏よ、民はみなあなたを仰ぎ見ている」とうたわれている。国を治めるものは慎重でなければならない。絜矩の道によらないで自分の好みや憎しみで偏ったことをしていたら、やがて国を滅ばし身は殺されて天下の大恥辱をこうむることになるだろう。

 『詩経』では「殷の王朝がまだ民衆から見放されなかったときは、立派に上帝さまの心にかなっていたのだ。今や殷は滅びた、殷を手本として戒めなければならぬ。大いなる天命を維持するのは容易なことではない」とうたわれている。絜矩の道によって民衆の心をつかまえ、民の父母と慕われることができれば、国家を保持していけるし、民衆の心を失って民衆から見放されてしまったら、国家を滅ぼすことになるということである。

 こうしたわけで、君子はまず何よりも自分の徳の充実に気をつけるのである。自分の徳が充実すると自然に民衆が帰服してくる。民衆が帰服してくると自然に国土が保持できる。国土が保持できるとそこで財物も豊かになる。財物が豊かになるとそこで流通も盛んになる。徳が根本であって、財物は末端なのである。根本のことをなおざりにして末端のことに力を入れたりすると、民衆を利のために争わせて、奪いあいを教えることになるのだ。そこで、財物に努めてそれをお上の倉に集めたりすると、民衆の方は貧窮になって君主を離れて散り散りになるが、反対に、徳に努めて財物を民衆のあいだに散らせて流通させると、民衆の方は元気になって君主のもとに集まってくる。そこで、道にはずれた言葉を口から出すと、また道にはずれた言葉が他人から返ってくるように、道にそむいて手に入れた財貨は、また道にそむいて出てゆくものだ。

 康誥篇には「そもそも天命はいつまでも安定したものではない」と言われている。君主が徳を積んで善であれば民心を得て天命が得られるし、反対に不善であれば民心が離れて天命が失われることをいったのである。

 『楚書』には「楚の国ではとくに財宝というべきものはない。ただ善人こそが宝だと考える」と書かれている。

 晋の舅犯の言葉でも「亡命のお方にはとくに財宝というべきものはない。仁徳のある近親者こそが宝だと考える」と言われている。

 秦誓篇ではまた次のように言われる、「ここに一人の臣下がいたとしよう、まじめひと筋で格別の技能も持たないが、その心は寛容で他人をよく受け容れる。だれかに特技あると認めると、嫉妬もせずにまるで自分の特技のようにしてそれを推薦し、聡明で優秀な人物がいると、心からその人物を愛好する。ただ口でほめそやすだけでなく、ほんとうにその人物をよく受け容れて、そうしてわが子孫による統治を末永く安泰にできるというのであれば、もろもろの民草もまた利益を受けることになるだろう。ところがこれに反して、だれかに特技があると認めると、ねたみうとんじて憎悪し、聡明で優秀な人物がいたとなると、それに逆らってその才能が君主に知られないように画策する。ほんとうにその人物を受け容れることができず、そうしてわが子孫による統治を末永く安泰にすることもできないというのであれば、もろもろの民草もまた危険なことになるだろう」

 ただ仁人だけが、こうした他人の善を受け容れることのできない人物をきっぱりと追放して流罪にし、四方の未開の土地に退けて、善良な人びととはいっしょに中国で住めないようにする。「ただ仁人こそが、ほんとうに人を愛することができ、またほんとうに人を憎むことができると言える」というのは、こういうことである。

 すぐれた人物を認めながらそれを官吏として挙用することができず、挙用したとしても一般よりも重く用いることができないというのは、君主としての怠慢である。善くない人物を認めながらそれを官位から退けることができず、退けたとしても遠ざけて関係を絶ちきることができないというのは、君主としての過失である。人びとが一般に憎むこと(悪事)をことさらに好み、人びとが一般に好むこと(善事)をことさらに憎む、というありさまで前に述べたような「民の好むことは自分も好み、民の憎むことは自分も憎む」というようにならないのは、それを人の本性に逆らうことといい、必ず災難がその身にやって来るものである。

 こうしたわけで、官位についている君子にはよるべき立派な規準がある。それは必ず忠信の徳を守ってこそ成功が得られ、驕り高ぶった傲慢では失敗するということである。

 財物を豊かにして国の経済を盛んにするのには、よるべき立派な規準がある。生産に従事する者が多くて遊んで食べる者は少なく、物を作ることが能率的で消費する方は緩慢というのであれば、国の財物はいつも十分に豊かである。この基本を守ってさえいるなら、こまかい経済策は要らない。そこで仁徳を備えた君主は財物を利用することによってわが身を高めてゆくが、不仁な君主は逆にわが身を犠牲にして財物を盛んにする。そもそも上に立つ君主が仁政を好んで施行しているのに、下々の民衆がそれに無関心で道義に向かおうともしないということは、あったためしがない。民衆が道義に向かって本業に励んでいるのに、国の経済活動が立派に成しとげられないということも、あったためしがない。こうなると、お上の府庫にいっぱいに集められた財物が、いつのまにかかすめ盗られて国の財物ではなくなったというようなことも、めったにないものだ。

 魯の賢人孟献子はこう言っている、「乗り物の馬を飼う身分ともなれば、もはや鶏や豚の飼育に気をつかって小利を争ったりはしない。夏の死者の葬儀や祖先の祭りに氷室から切り出した氷を使える家がらともなれば、もはや牛や羊を飼ったりはしない。それと同じことで、領地を持って戦車百台を出す家がらでは、領民からきびしく重税をとりたてる家臣をおいたりはしない。きびしく重税をとりたてる家臣がいるくらいなら、むしろ主家の財物をくすねる家臣がいる方がましだ。害の及ぶ範囲はその方が狭いだろう。「国にとっては財物を得る利益は本当の利益でなく、道義を守ることこそ本当の利益だ」というのはこのことである。

 国家の統率者として財政に力をいれる者は、必ずつまらない人物を手先に使うものである。彼はこの人物を有能だと考えているが、つまらない人物に国家を治めさせると、天災や人害がしきりに起こる。たとえすぐれた人物がいたところで、もはや手の施しようもなくなるのである。「国にとっては財物を得る利益は本当の利益でなく、道義を守ることこそ本当の利益だ」というのはこのことである。