小マールキヤ経

  • 「小マールキヤ経」(Cūḷamālukya-sutta)(『箭喩経』。『中部経典』(Majjhima Nikāya)第63経)
  • 和訳①:片山一良訳『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)中分五十経篇I』 (大蔵出版、1999年)
  • 和訳②:浪花宣明訳『原始仏典 中部経典2』(第5巻)(中村元監修、春秋社)

 このように私は聞いた―

 あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディカ僧院に住んでおられた。

 さて、静かに独坐していた尊者マールキヤプッタの心に、つぎにような考えが生じた。<これらの悪しき見解は世尊によって解答されていないし、捨て置かれ、拒絶されている。つまり、

  「世界は常住である」ということも、

  「世界は無常である」ということも、

  「世界は有限である」ということも、

  「世界は無限である」ということも、

  「霊魂と肉体は同じである」ということも、

  「霊魂と肉体は異なる」ということも、

  「タターガタは死後存在する」ということも、

  「タターガタは死後存在しない」ということも、

  「タターガタは死後存在し、存在しない」ということも、

「タターガタは死後存在しなし、また存在しないのでもない」ということも、

である。世尊はこれらを私に解答しておられない。世尊がこれらを私に解答しておられないことは、私には満足できないし、耐えられない。だから、私は世尊のもとへ行き、この意味をお尋ねしよう。もし世尊が私に、『世界は常住である』とか、『世界は無常である』とか、『世界は有限である』とか、『世界は無限である』とか、『霊魂と肉体は同じである』とか、『霊魂と肉体は異なる』とか、『タターガタは死後存在する』とか、『タターガタは死後存在しない』とか、『タターガタは死後存在し、また存在しない』とか、『タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない』と解答されるならば、私は世尊のもとで梵行に努めよう。もし世尊が私に、『世界は常住である』とか、『世界は無常である』とか、『世界は有限である』とか、『世界は無限である』とか、『霊魂と肉体は同じである』とか、『霊魂と肉体は異なる』とか、『タターガタは死後存在する』とか、『タターガタは死後存在しない』とか、『タターガタは死後存在し、また存在しない』とか、『タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない』と解答されないならば、私は学びを捨て、還俗しよう>と。

 さて、尊者マールキヤプッタは、夕方、独坐より立ち上がり、世尊がおられるところへ近づいて行った。行って、世尊を礼拝し、一方に坐った。一方に坐った尊者マールキヤプッタは、世尊につぎのように申しあげた。

「尊師よ、ここに、静かに独坐しておりました私の心に、つぎのような考えが生じました。<これらの悪しき見解は世尊によって解答されていないし、捨て置かれ、拒絶されている。つまり、『世界は常住である』ということも、『世界は無常である』ということも、『世界は有限である』ということも、『世界は無限である』ということも、『霊魂と肉体は同じである』ということも、『霊魂と肉体は異なる』ということも、『タターガタは死後存在する』ということも、『タターガタは死後存在しない』ということも、『タターガタは死後存在し、存在しない』ということも、『タターガタは死後存在しなし、また存在しないのでもない』ということもである。世尊はこれらを私に解答しておられない。世尊がこれらを私に解答しておられないことは、私には満足できないし、耐えられない。だから、私は世尊のもとへ行き、この意味をお尋ねしよう。もし世尊が私に、『世界は常住である』とか、『世界は無常である』とか、『世界は有限である』とか、『世界は無限である』とか、『霊魂と肉体は同じである』とか、『霊魂と肉体は異なる』とか、『タターガタは死後存在する』とか、『タターガタは死後存在しない』とか、『タターガタは死後存在し、また存在しない』とか、『タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない』と解答されるならば、私は世尊のもとで梵行に努めよう。もし世尊が私に、『世界は常住である』とか、『世界は無常である』とか、『世界は有限である』とか、『世界は無限である』とか、『霊魂と肉体は同じである』とか、『霊魂と肉体は異なる』とか、『タターガタは死後存在する』とか、『タターガタは死後存在しない』とか、『タターガタは死後存在し、また存在しない』とか、『タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない』と解答されないならば、私は学びを捨て、還俗しよう>と。

 もし世尊が『世界は常住である』と知っておられるならば、世尊は私に『世界は常住である』と解答してください。もし世尊が『世界は無常である』と知っておられるならば、世尊は私に『世界は無常である』と解答してください。もし世尊が『世界は常住である』とか『世界は無常である』と知っておられないならば、知らない者、見ていない者には、つぎのこと、すなわち、『私は知らない。私は見ていない』ということのみが正しいのです。

 もし世尊が『世界は有限である』と知っておられるならば、世尊は私に『霊魂と肉体は同じである』と解答してください。もし世尊が『世界は無限である』と知っておられるならば、世尊は私に『世界は無限である』と解答してください。もし世尊が『世界は有限である』とか『世界は無限である』と知っておられないならば、知らない者、見ていない者には、つぎのこと、すなわち、『私は知らない。私は見ていない』ということのみが正しいのです。

 もし世尊が『霊魂と肉体は同じである』と知っておられるならば、世尊は私に『世界は有限である』と解答してください。もし世尊が『霊魂と肉体は異なる』と知っておられるならば、世尊は私に『霊魂と肉体は異なる』と解答してください。もし世尊が『霊魂と肉体は同じである』とか『霊魂と肉体は異なる』と知っておられないならば、知らない者、見ていない者には、つぎのこと、すなわち、『私は知らない。私は見ていない』ということのみが正しいのです。

 もし世尊が『タターガタは死後存在する』と知っておられるならば、世尊は私に『タターガタは死後存在する』と解答してください。もし世尊が『タターガタは死後存在しない』と知っておられるならば、世尊は私に『タターガタは死後存在しない』と解答してください。もし世尊が『タターガタは死後存在する』とか『タターガタは死後存在しない』と知っておられないならば、知らない者、見ていない者には、つぎのこと、すなわち、『私は知らない。私は見ていない』ということのみが正しいのです。

もし世尊が『タターガタは死後存在し、また存在しない』と知っておられるならば、世尊は私に『タターガタは死後存在し、また存在しない』と解答してください。もし世尊が『タターガタは死後存在しなしし、また存在しないのでもない』と知っておられるならば、世尊は私に『タターガタは死後存在しなしし、また存在しないのでもない』と解答してください。もし世尊が『タターガタは死後存在し、また存在しない』とか『タターガタは死後存在しなしし、また存在しないのでもない』と知っておられないならば、知らない者、見ていない者には、つぎのこと、すなわち、『私は知らない。私は見ていない』ということのみが正しいのです。

 「マールキヤプッタよ、私はそなたにこのようなに言いましたか。『来なさい、マールキヤプッタよ。私のもとで梵行に努めなさい。私はそなたに解答します。「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」とか』と」

 「いいえ、尊師よ」

 「あるいはまた、そなたは私にこのように言いましたか。『尊師よ、私は世尊のもとで梵行に努めたいと思います。世界は私に、「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」と解答していただきたいと思います』と」

 「いいえ、尊師よ」

 「マールキヤプッタよ、以上のように、私はそなたに、『来なさい、マールキヤプッタよ。私のもとで梵行に努めなさい。私はそなたに解答します。「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」』とは、けっして言っていません。そなたもまた私に、『尊師よ、私は世尊のもとで梵行に努めたいと思います。世界は私に、「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」と解答していただきたいと思います』とは、けっして言っておりません。

 愚人よ、このようであるのに、そなたは何者として何者を拒んでいるのです。マールキヤプッタよ、つぎのように言う者がいるとします。『私は、世尊が私に、「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」と解答されない限り、世尊のもとで梵行に努めないつもりです』と。

 マールキヤプッタよ、如来によってそれが解答されなければ、その人は死ぬことになります。マールキヤプッタよ、たとえば、毒の厚く塗られた矢に射られた人がおり、その友人同僚や親族縁者がかれを外科医師に見せたとします。

 かれはこのように言います。『私は、私を射た人について、かれが王族であるのか、バラモンであるのか、庶民であるのか、隷民であるのかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

 かれはこのように言います。『私は、私を射た人について、かれがこのような名である、このような姓であるということが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

 かれはこのように言います。『私は、私を射た人について、かれの背が高いのか、低いのか、中位なのかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た人について、かれの色が黒いのか、褐色であるのか、黄土色であるのかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た人について、かれがこのような村の者であるとか、このような町の者であるとかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た弓について、それが長弓であるのか、石弓であるのかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た弓の弦について、それがアッカ樹のものか、竹のものか、筋のものか、マルヴぁ―のものか、キーラパンニーのものかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た矢の柄について、それが藪のものか、改良葦のものかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た矢の柄について、そこにつけられている羽が鷲のものか、蒼鷲のものか、鷹のものか、孔雀のものか、シティラハヌ鳥のものかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た矢の柄について、それを巻いている筋が牛のものか、水牛のものか、ジャッカルのものか、猿のものかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

かれはこのように言います。『私は、私を射た矢について、それがふつうの矢であるのか、尖矢であるのか、鉤矢であるのか、鉄矢であるのか、犢の歯矢であるのか、夾竹桃の葉矢であるのかが分からないうちは、この矢を抜かない』と。

マールキヤプッタよ、その人によってそれが知らなければ、その人は死ぬことになります。

マールキヤプッタよ、ちょうどそのように、つぎのように言う者がいるとします。『私は、世尊が私に、「世界は常住である」とか、「世界は無常である」とか、「世界は有限である」とか、「世界は無限である」とか、「霊魂と肉体は同じである」とか、「霊魂と肉体は異なる」とか、「タターガタは死後存在する」とか、「タターガタは死後存在しない」とか、「タターガタは死後存在し、また存在しない」とか、「タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもない」と解答されない限り、世尊のもとで梵行に努めないつもりです』と。

マールキヤプッタよ、如来によってそれが解答されなければ、その人は死ぬことになります。

マールキヤプッタよ、『世界は常住であるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、『世界は無常であるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることもありません。マールキヤプッタよ、世界は常住であるとの見解があれば、あるいは世界は無常であるとの見解があれば、生まれがあり、老いがあり、死があり、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みがあります。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。

マールキヤプッタよ、『世界は有限であるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、『世界は無限であるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることもありません。マールキヤプッタよ、世界は有限であるとの見解があれば、あるいは世界は無限であるとの見解があれば、生まれがあり、老いがあり、死があり、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みがあります。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。

マールキヤプッタよ、『霊魂と肉体は同じであるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、『霊魂と肉体は異なるとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、霊魂と肉体は同じであるとの見解があれば、あるいは霊魂と肉体は異なるとの見解があれば、生まれがあり、老いがあり、死があり、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みがあります。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。

マールキヤプッタよ、『タターガタは死後存在するとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、『タターガタは死後存在しないとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることもありません。マールキヤプッタよ、タターガタは死後存在するとの見解があれば、タターガタは死後存在しないとの見解があれば、あるいは霊魂と肉体は異なるとの見解があれば、生まれがあり、老いがあり、死があり、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みがあります。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。

マールキヤプッタよ、『タターガタは死後存在し、また存在しないとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることはありません。マールキヤプッタよ、『タターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもないとの見解があれば、梵行生活は起こるであろう』と、そのようになることもありません。マールキヤプッタよ、タターガタは死後存在し、また存在しないとの見解があれば、あるいはタターガタは死後存在しないし、また存在しないのでもないとの見解があれば、生まれがあり、老いがあり、死があり、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みがあります。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。私は現世における、それらの破壊を説いているのです。

それゆえに、マールキヤプッタよ、私によって解答されていないものは解答されないものとして受けとめなさい。また、私によって解答されているものは解答されるものとして受けとめなさい。

それでは、マールキヤプッタよ、何が私によって解答されていないのか。

マールキヤプッタよ、

『世界は常住である』ということは私によって解答されていません。

『世界は無常である』ということは私によって解答されていません。

『世界は有限である』ということは私によって解答されていません。

『世界は無限である』ということは私によって解答されていません。

『霊魂と肉体は同じである』ということは私によって解答されていません。

『霊魂と肉体は異なる』ということは私によって解答されていません。

『タターガタは死後存在する』ということは私によって解答されていません。

『タターガタは死後存在しない』ということは私によって解答されていません。

『タターガタは死後存在し、存在しない』ということは私によって解答されていません。

『タターガタは死後存在しなし、また存在しないのでもない』は私によって解答されていません。

それでは、マールキヤプッタよ、なぜ、これが私によって解答されていないのか。マールキヤプッタよ、これは利益を伴わず、初梵行のものでなく、厭離のためにならず、離貪のためにならず、滅尽のためにならず、寂止のためにならず、勝智のためにならず、正しい覚りのためにならず、涅槃のためにならないからです。それゆえ、それは私によって解答されているのです。

それでは、マールキヤプッタよ、何が私によって解答されているのか。

マールキヤプッタよ、

『これは苦である』ということが私によって解答されています。

『これは苦の生起である』ということが私によって解答されています。

『これは苦の滅尽である』ということが私によって解答されています。

『これは苦の滅尽にいたる行道である』ということが私によって解答されています。

それでは、マールキヤプッタよ、なぜこれが私によって解答されているのか。

マールキヤプッタよ、これは利益を伴い、これは初梵行のものであり、これは厭離のためになり、離貪のためになり、滅尽のためになり、寂止のためになり、勝智のためになり、正しい覚りのためになり、涅槃のためになるからです。それゆえ、それは私によって解答されているのです。

それゆえに、マールキヤプッタよ、私によって解答されていないものは解答されないものとして受けとめなさい。また、私によって解答されているものは解答されるものとして受けとめなさい」と。

このように世尊は言われた。

尊者マールキヤプッタは喜び、世尊が説かれたことに歓喜した、と。