提道次第略義
幾千万の功徳と至善より降誕された御身、無辺の衆生の望みを叶える御言葉、残りなく所知を如実にご覧になる御心、釈迦族の主たる彼に礼拝する。
無比なるその教師の最勝子、勝者のあらゆる事績の責務を負い、無数の国土に変化して出現なさる弥勒菩薩、文殊菩薩に礼拝する。
極めて推し量り難き仏母の密意を如実に解釈なさる閻浮提の荘厳たる龍樹、無着という三地に名高き方々の御前に私は礼拝する。
両大馬車より善く相承する、甚深見と広大行の道を、誤ることなく成就する要点をまとめた教誡の蔵である燃燈に恭敬する。
一切の円満なる仏説を観る眼であり、良い機縁の備わる者を解脱へと導く最勝の門、慈愛に満ちた善巧方便によってすべてを明らかになさる善知識たちに礼拝する。
閻浮のすべての賢者の頭頂の荘厳であり、栄誉の旗が衆生のなかではっきりと靡く、龍樹と無著の両者より順に善く相承してきた菩提道次第は、九生の願望を残りなく叶えるので、教誡の宝を自在とする王であり、幾千の善き典籍の河を束ねるゆえに、吉祥なる善説の大海でもある。
一切の教示を矛盾なく証得させ、教説が残りなく教誡として現れ、勝者の密意を容易に体得させ、大きな悪行の崖からも護る。
それゆえ、インドとチベットの機縁の備わる多くの賢人たちが依拠する最勝の教誡である。思慮深き者にして三士の道次第に魅了されない者が誰かいるだろうか。
あらゆる教説の心髄を要略したその様式を座の度に説き示して聴くことは、正法の解説と聴聞に備わる偉大な功徳の資糧を積むことになると確信することによって、その意義を思惟すべし。
そして、今生と来世における有る限りの善き資糧の縁起が善く整うための根源とは、道を示す正しい善知識に、励んで思惟し修行するよって、正しく師事することである。このことを思って命を懸けても放棄することなく、仏語に従って修行するという供養によって喜ばせる。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
この有暇の拠り所は如意宝珠より優れている。このように得られているのは現在限りである。得難く、消滅し易いのは、虚空の稲妻の如くである。この有り様に思いを巡らし、世間でのあらゆる活動は籾殻をふるうのと同じように[虚しい]と理解して、昼夜常に有意義なものとしなければならない。
死後に悪趣に赴かないという確証はない。その恐怖から救うのが三宝であることは確実である。それゆえ、帰依を極めて堅固にすべきであり、その学処を失ってはならない。
それはまた善悪の行為と結果についてよく考え、取捨を適切に成就することに依拠している。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
最高の道を成就するためには、条件を備えた拠り所を得るまでは機会が訪れないので、この不備なき原因を学ぶ。
この三門は罪過と堕罪という垢で汚れている。とりわけ、業障を取り除くことが極めて重要である。それゆえ、絶えず四力を備えることに依拠することが大切である。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
苦諦の過失について励んで考えなければ、解脱を求める思いが如実に生じ得ず、集諦として輪廻転生の次第を考えなければ、輪廻の根源を断ち切る方法を知ることはない。
それゆえ、生存から出離したいという嫌悪感を堅固なものとし、何が輪廻に縛り付けているのかを知ることが大切である。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
発心は最勝乗道の大黒柱であり、偉大なる行の基礎であり拠り所であり、二資糧に全てを変える錬金の薬の如きであり、広大で豊富な善を集める福徳の蔵である。このように理解して、仏子である勇者達は大宝たる最勝の心を誓願の根本として把持している。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
布施は衆生の願いを叶える如意宝珠であり、物惜しみの結び目を断ち切る最勝の武器であり、怯むことなく勇気を起こす菩薩行であり、名声を十方に轟かせる土台である。このように理解して、身体や財産や功徳を悉く与える善き道に賢者は依る。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
持戒は罪業の汚れを洗い流す水であり、煩悩の熱苦痛を取り除く月光であり、九生の中心にそびえる須弥山のように輝き、力で威圧せずとも一切の衆生が跪く。このように理解して、正しく授かった戒を聖人達は瞳のようにお護りになる。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
忍耐は力ある者の最勝の荘厳であり、煩悩に苦しむ者にとって最高の苦行であり、瞋恚という蛇に敵対する迦楼羅であり、罵倒という武器に対する硬い鎧である。このように理解して、最勝なる忍耐の鎧にさまざまな仕方で修習する。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
不退転の堅固な甲冑を身につけるならば、聖言と証得の功徳は上弦の月のように満ちていき、一切の行住坐臥は有意義なものとなり、何を始めてもその全ての行いは意のままに成就する。このように理解して、一切の怠惰を取り除く偉大なる精進に仏子たちは取り掛かる。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
禅定は心を征服する王である。禅定に入れば不動なること須弥山の如くである。禅定から出ればあらゆる善の所縁に向かい、心身はしなやかさという大楽をもたらす。このように理解して、瑜伽自在者たちは心の散乱という敵を打ち破る三昧に常に依っている。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
智慧は甚深なる真実を見る眼であり、生存の根源を根刮ぎ断ち切る道であり、あらゆる教説で讃嘆される功徳の蔵であり、愚痴の闇を払拭する最勝の灯火として名高い。このように理解して、解脱を求める賢者はその道を多大なる努力により生じさせる。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
一心に禅定するだけでは輪廻の根源を断ち切る能力は見られない。また止の道を離れた智慧ではどれほど分析しても煩悩は退けられない。それゆえ、実相を確定するその智慧を不動の止という馬に乗せ、離辺中観の道理という鋭い武器によって辺執の一切の認識対象を消滅させる。このような如実に分析する広大な智慧によって真実を証得する智慧をお開きになる。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
一心に修習することで三昧が成就することは言うまでもなく、如実に分析する個々の観察によっても、実相において不動で極めて堅固に住する三昧を生じさせると見て、止観の両者の双運を成就するために励む者達は稀有である。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
三昧智によって虚空の如き空性を、後得智によって幻の如き空性を修習し、方便と智慧が双運することで仏子行の彼岸へ赴くと讃嘆される。このように理解して、一方の道で満足しないことが良い機縁を備えた者達の流儀である。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
以上のように原因と結果を有する大乗の二つの最勝道を共に要する共通の道を如実に生じさせてから、賢き船長という守護者に依拠してタントラの大海に入り、円満の口訣に依拠する者は、得られた有暇具足を有意義なものとする。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
自身の意識の中で修習するために、そして良い機縁を備えた他者にも利益するために、勝者を歓喜させる円満なる道を平易な言葉で解いた。この功徳により、あらゆる衆生も清浄なる良き道から離れることがないようにと祈願する。瑜伽行者である私もこのように実践してきた。解脱を求めるあなたもそのように為さんことを。
以上、菩提道次第の実践の設定を要約して備忘録としたこれは、多聞の比丘隠遁者ロサンタクペーペルがドクリポチェ・ゲデン・ナンパルギェルウェリンにて著したものである。


